誕生日日記

誕生日になぜ祝う?

誕生日プレゼントをもらうことが出来ないと、なんだか気持ちも落胆してしまいますよね。しかし、なんだって私達は、誕生日プレゼントをもらわなければならないのでしょうか。ちょっと考えると誕生日プレゼントをもらうこと自体不思議という気持ちにもなってしまうのではないでしょうか。

【誕生日プレゼントのなぜ】

子供さんの頃から誕生日プレゼントをもらっているから、誕生日プレゼントをもらうこと自体当たり前と思っている人たちが多くいるでしょう。ちょっと歴史的に誕生日プレゼントを探ってみると、創世主であるイエス・キリストが関与しているようです。

日本の場合、最初に誕生日を祝ったのは、織田信長とも言われています。織田信長は本能寺の変の前辺りから、自己の神格化を推し進め、キリストを意識して、西洋の神であるイエス・キリストの誕生日を祝うのにならい、 誕生日を祝うという習慣を取り入れたと言います。

【古代ギリシャ】

実際にはいろいろ説があり、誕生日にケーキを食べる習慣は、既に古代ギリシャからあるという説もあります。その頃には、月の女神のアルテミスの誕生日を祝うために、円形、または月の形のハニーケーキをアルテミスの神殿の祭壇にお供えしたと言われています。

そしてあとは、アルテミスに供えたケーキを自分たちで食べたと言います。

【ケーキにロウソクを立てる習慣】

誕生日のケーキには、当たり前にロウソクが立ちますが、あのような習慣も客観的に見れば、宗教じみて不思議という感じがあります。 その起源も既に先ほど述べたアルテミスを祝うケーキのころにあったと言われています。

そして、本格的にそのような風習が始まったのは、15世紀のドイツの頃とも言われています。15世紀にドイツで行われていたキンダーフェストという子供の誕生日会が起源だと指摘する人たちが多くいます。

その頃では、悪霊が子供の誕生日を狙ってやってくるという考えがあり、誕生日の日には、子供を守るために多くの人たちが集まったと言われています。神に願いが届く様にとケーキの上にロウソクを一日中灯したということですが、現代社会の人たちは一欠片でもそのようなモチベーションで、誕生日ケーキと向きあっていらっしゃるでしょうか。

誕生日ケーキとロウソクは、18世紀以降より切っても切り離すことができない存在へとなっていくことになります。

【誕生日ケーキの上に年の数分のロウソクを立てる】

現在でも誕生日ケーキの上には、子供の年の数分の小さな色のついたロウソクを立てる習慣がありますが、1920年あたりのアメリカにおいて、既にそのような習慣があり、業者が小さなカラフルなロウソクを発売する光景も頻繁に見かけるようになったということです。

日本人には、まだその頃誕生日ケーキという概念は、浸透してなかったようですが、それ以降、第二次世界大戦後、アメリカのGHQによって習慣がもたらされたとも言われています。

【誕生日は祝うべきもの? エホバの証人の場合】

エホバの証人は、誕生日を祝わないと言いますが、それは何故なのでしょうか。それは、誕生日を祝うことが、神様に喜ばれないと判断しているからです。 『』ファンク ・ アンド ・ ワグナルズ 民間 伝承 ・神話 ・ 伝説 標準 辞典』によれば、誕生日とは、邪悪な霊、勢力にとっては祝ってもらう人を攻撃する機会というので、誕生日で他の人たちが祝いの言葉を述べることで、保護されるという考えがあります。誕生日のロウソクには、特別な魔力が備わり、魔術的な占星術に基づくとされています。

しかし、聖書においては、魔術や占いや心霊術と言ったものを用いることを許している訳ではありません。

神様がバビロンという古代都市を糾弾してしまった理由は、住民が占いのひとつの占星術をおこなったからという理由も存在してるいといいます。

エホバの証人が、聖書にそのように書かれてある以上、無視はすることができなかったのです。

更に『ワールドブック百科事典』では、初期クリスチャンは、いかなる人の誕生日を祝うことをも異教の習慣という見方も記述されています。

誕生日も深く追求すれば、一筋縄で行かないものです。そして、聖書には,「死ぬ日は生まれる日に勝る」という記述もあり、誕生日よりも、死を意識していたとも考えることができます。

【誕生日は誰に感謝するべきか】

みなさんは誕生日プレゼントをもらうことを当たり前に思い、自分自身が、親から感謝されるべき日などと考えているのではないでしょうか。しかし、それはひょっとしたら大きな間違いなのかもしれません。

誕生日とは、自分を生んでくれてありがとうと親に感謝する日だということを段々と気付く人たちもいます。子供の頃、とかく習慣に流されてしまいがちですが、自分がこのように元気に存在しているのはまさに、親のお陰なのです。

誕生日こそ、母の日や父の日以上に親に感謝しなければならないという気持ちも必然的に起こったとしても不思議ではありません。